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In 不誠実論理・始音
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どうして人は、争わずにはいられないのでしょうか。

*
せっかくSAI試用版をダウンロードしてみたのだから書かなきゃ損!と似非アニメ塗りでリエラを描いてみた。
これを書いてて思ったことがあるんですが、思いのほか長くなったので続きに収納しました。
支離滅裂という言葉でいやな予感がする方は開かずにスルーしてくださいね^^

さて、明日は新たな野望が達成される日ですよ!!
待ちに待っていたこのときをっ!
いってきますv




ノエルがリエラの幸せだけを願う一方で、リエラは他人の幸せをも願っている部分があります。
偽善とかそういうものじゃなくて。
私のない頭で必死に考えて言えることは、「自分も幸せになりたい」というのは誰しもが思うことですが、たった二人お互いしかいない閉じた世界で生きてきた双子が自分の幸せを願う上で、それに一番必要なのは相手の幸せであって。それはノエルもリエラも一緒。
ただノエルのほうはもともと少し淡白なのもあってか他人のことにはあまり入れ込むほうではない。不可抗力は多々あるけれども。
リエラは目のこともあってノエルに迷惑をかけて生きていると思っている節がどこかあるから、自分が幸せになることでノエルが犠牲になってしまう、ということを考える。つまりはノエルが自分にかける労力とか、手間とか。そういった時間とか。
ノエルはそれが自分の幸せだと思うから世話を焼く、それがリエラを悩ませることもわかってるし、気にするなといっても負い目を感じてるのも知ってる。けど離れることもできない。
どうにか、ただどうにかリエラさえ幸せになってくれればいい。
自分の幸せがリエラの幸せに関係してることには気づかない。
リエラは自分がいなければノエルは一人自由に幸せになれるのではと考えるけれど、それがノエルを悲しませるのを知ってる。その分ノエルのためにできることをして、それがまたノエルに心配をかけることもあるのを知ってる。でもやらずにはいられない。
ノエルが自分の幸せを願ってくれているのも、自分が幸せになることでノエルは幸せだと思っていることもわかっているけど、それがノエルの本当の幸せだとは思えない。
そうして他人でも同じ境遇の人とか、もっとひどい生き方としてきた人とかを見るとまた今日のタイトルみたいなことを考える。誰しもみんなが幸せになればいいのに。そうしたらノエルもきっと本当の意味で幸せになれる。
結局はノエルのためなんですけど、その過程に他人の幸せがある。
争いさえなければ、貧富や身分の差さえなければ。
それはあってしかるべきもの。そのように構成されているからこそ人は夢が見られる。幸せを幸せと思える。
その現実はわかっているけれどもリエラは願わずにはいられない。

っていうようなことを悶々と考えていたけれどうまくまとまりませんでした。
あれ、私何が言いたいんだっけ?

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